歴史
推進会の歴史
油縄子学区コミュニティ推進会の歴史
昭和49年(1974年)、茨城国体が行われた際、県外からのお客様を気持ちよく迎えるための「日立市民運動実践協議会」が設立され、小学校区ごとに支部が置かれて、油縄子学区では、日立市民運動実践協議会油縄子支部として、昭和47年(1972年)に設立されました。
国体が終了した後、実践協議会は発展的に解消され、この運動が引き継がれ小学校区の支部がそのまま市民運動を推進する組織に生まれ変わりました。
油縄子学区では、
■昭和50年(1975年)4月1日 「油縄子市民運動協力会」としてスタート
■平成5年(1993年)10月 油縄子コミュニティセンターが竣工
■平成10年(1998年) 「油縄子学区住みよいまちをつくる会」と改名
■平成18年8年(2006年) 「油縄子学区コミュニティ推進会」と改称
「コミュニティセンター」が「油縄子交流セン
ター」と改称し、拠点施設として活動を展開
となり、現在現在に至っています。